「スーパードライ生ジョッキ缶」は、2021年4月にアサヒビールが発売した商品だ。その人気ぶりは凄まじく、メディアやSNSで大きな話題となった。ここ20年近くビール市場は縮小傾向にある中で、社会現象とも言えるほどの大ヒットをなぜ生み出せたのか。
背景には、消費者インサイトを見つけるための地道な取り組みと、全社的な経営ビジョンがあった。「スーパードライ」ブランドマネージャーの中島健氏が、「デジタルマーケターズサミット2022 Summer」に登壇し、新商品の発売までのプロセスを語った。
顧客中心型マーケティングに注力。「消費者インサイト」を徹底重視
中島氏は2004年、アサヒビール株式会社に新卒で入社。量販店担当の営業職を経て、2010年にビールマーケティング部へ異動し、「クリアアサヒ」「ドライゼロ」などの製品を担当。2017年から「スーパードライ」を担当し、その後ブランドマネージャーに就任している。
中島氏はまずアサヒビールのValue経営とマーケティング方針から話をはじめた。現在、アサヒビールでは「すべてのお客さまに、最高の明日を。」というビジョンを掲げ、新市場の開拓、新価値の創造、サステナビリティの重視など、さまざまな分野で経営体制変革に取り組んでいる。マーケティング方針は、顧客を中心とした統合型マーケティングの実践だ。
お客さま中心という考えは、当然だと思われるかもしれないが、なかなかできていない部分がありました。お客さまを中心に置くマーケティングでは、『お客さまの心が動いているかどうか』で判断します(中島氏)
お客さまを中心にすると言っても、会社の事情などを優先してしまい、できないという場合もあるだろう。そうならないために、中島氏が顧客中心のマーケティングを行う上で大事にしているものとして挙げたのは、「消費者インサイト」だ。
私たちは、消費者インサイトとは購買意欲に直結する『心のホットボタン』と捉えています。お客さま自身も気づいていないことが多いような、心の潜在的な部分にあるホンネや動機。消費者インサイトをどれだけ深く理解しているかが、お客さまを主役にしていけるかだと考えながら日々取り組んでいます(中島氏)
たった一人のお客さまでもポジティブな反応があるかを大事に
では、お客さまの消費者インサイトをどのように理解していくのか。「たった一人のお客さまでもいいので非常に前のめりで、ポジティブな反応があるかを確認していこうと取り組んでいる」と中島氏。「N=1」の重要性を指摘する。
アンケートに代表される定量調査は、顧客の総合的な傾向を測るには便利な手段である。しかし、それだけをもってインサイトを見つけるのは難しい。中島氏も「AとBのどちらがよいかを聞いて、ダメなほうを特定するには定量調査が有効。だが、どうしても平均的な回答になってしまう。(デプスインタビューなどの)定性調査もバランスよく活用していく必要がある」と述べる。
縮小するビール市場。さまざまな取り組みを行うがユーザー数増加には至らず
続いて、中島氏は生ジョッキ缶の開発の背景について話をすすめる。「スーパードライ生ジョッキ缶」は、外観は一般的な缶ビールだが、大きな蓋を開けると、飲食店で提供される生ビールのような泡が楽しめる。2021年4月に発売されたが、あまりの好評ぶりに一時出荷が停止されるほどの事態となった。
ビール類の市場規模は、「発泡酒」や「新ジャンル」と呼ばれる製品を含めても、2001年以降は縮小傾向にある。スーパードライのユーザー数も比例して減少しているのが実情で、この10年間、さまざまな取り組みを行ってきた。お客さまから評価を得られたものもあったが、スーパードライのユーザー数を増やすまでには至っていなかった。この状況をいかに打破するかが中島氏らの直面する課題だった。
デプスインタビューでの一人の言葉が、2つの技術を結びつけ商品コンセプト誕生のきっかけに
使い道のなかった2つの技術
生ジョッキ缶誕生の技術的布石が2つある。1つ目は、中島氏がビールマーケティング部へ異動直後の約10年前、研究開発部門から紹介された「フルオープン蓋」だ。一般的なプルタブ型の飲み口とは異なり、缶の上面が蓋になっている。見た目はカップ酒や缶詰の蓋に近い。
中島氏はその新規性に驚き、消費者の反応を調査するためのデプスインタビューを行ったが、予想に反して、評判は芳しくなかった。「中を覗くと、薄暗い缶の中に金色のビールがあるだけで、おいしそうに見えず、シュールに捉えられてしまったようだ」と中島氏は振り返る。結果、フルオープン蓋の製品化は見送られた。
2つ目はそこから時が経ち、2017年。研究開発部門から今度は「泡立ち缶胴」の提案を受けた。ビール缶の内側は通常、サビを防ぐために塗料の焼き付け処理を行っている。塗料の研究開発過程において、泡が噴き出る塗料配合が偶然見つかったのだ。ただ、缶ビールの小さな飲み口から泡が見えるだけでは見た目のインパクトが小さく、シズル感もない。この時は、デプスインタビューを実施しないほど製品化の見通しが全くない状態で、どちらも、単独では魅力に欠ける、見過ごされた技術だった。
「本当は、家でお店の生ビールが飲みたい」、これが消費者のホンネだ
この2つの技術を結びつけるきっかけになったのはデプスインタビューでの言葉だった。アルコール飲料市場はハイボール、酎ハイ、新ジャンルなど多彩な製品が各社から発売され、「家飲み」の選択肢は広がっている。まさにレッドオーシャンの様相を呈している2017年頃、スーパードライ浮上のきっかけを見つけようと、中島氏らが消費者へのインタビューを重ねていたところ、ある一人から「本当は、家でお店の生ビールが飲みたい」という言葉が漏れ出た。
『居酒屋に行くと3000円~5000円はかかる。今は安くておいしいお酒がいっぱいあるので、家飲みは本当にいい。何も不満はない。ただ本当は、家でお店の生ビールが飲めたら最高なんだけどね……』
こうおっしゃる方がいました。恐らく、この言葉は何十年も前からあったはずですが、この言葉が消費者のホンネだと感じました。このタイミングで妙に引っかかったのは、今思えば、チーム全体が必死にインサイトを探していたからだと思います(中島氏)
デプスインタビューを進める中で、他にも「缶ビールは手軽に飲めて良いが、お店で飲むビールとはちょっと違う。気持ちの盛り上がりに欠ける」という声もあった。これはまさに顧客のインサイトではないか。お客さまの言葉が「フルオープン蓋」と「泡立ち缶胴」の技術を組み合わせるきっかけになった。
こうして、「缶ビールなのに、まるでお店の生ジョッキ」というコンセプトが誕生した。
「泡の吹きこぼれ」リスクのある新商品。商品化を決定できたのはミッションが浸透していたから
開発を本格的に進めていくと生ジョッキ缶にはリスクがあることがわかった。泡が出る缶ビールと言っても、泡の出る量をコントロールする必要がある。試作段階では、ビールの温度が低すぎると泡が出ず、常温のまま蓋を開けると噴きこぼれてしまうことがわかった。
泡が出ないのはまだしも、泡の噴きこぼれはビールメーカーでは絶対悪とされていた。噴きこぼれると服が汚れたり、スマホが壊れてしまったりなど、お客さまを残念な気持ちにしてしまうからだ。通常のビール出荷にあたっては、缶を開けたときに噴きこぼれがないか確認する試験が日常的に行われているほどだ。
企画はしたものの、商品化は難しいのではないか……と中島氏自身、思っていた時期もあった。2020年1月、経営会議で商品化の意思決定をはかったところ、噴きこぼれリスクがあるにも関わらず、商品化が決まった。
正直、商品化できるかは五分五分だと思っていました。なぜこういった意思決定ができたのか振り返ると、社のビジョンやミッションの『期待を超えるおいしさ』『驚きや感動を提供する』という方針が経営層から担当者まで浸透していたことが大きかったのだろう。それが、リスクをとってでも新しい商品を生み出そうという土壌になったと感じています(中島氏)
開発は続き、温度によって泡立ちが変わるため、社員に協力を依頼し、冷蔵庫内の温度を調査。冷蔵庫内の置く場所により温度は大きく変わることがわかった。ビールが冷え過ぎると、泡立ちが弱くなるが、お客さまの驚きは蓋が開いた瞬間の泡だ。お客さまの驚きだけは譲れないと、研究開発部門に、冷えた状態でも泡が立ちやすい缶の開発を依頼するなどの努力が続けられた。
商品化が決まり2021年4月の発売に向け、泡立ちの改良と商品の特長を動画で仕掛ける
世の中は、新型コロナショックで、外出が規制され、家飲みが増えている状況だった。試作を重ね、ついにお客さまへ試作品のデプスインタビューを実施。中島氏が「生涯忘れることがないほど、製品の出来に確信が持てた」と語るほど、好評を得ることとなった。一般的な新製品に関するデプスインタビューは、パッケージの善し悪し、味の満足度など物性的な評価をされることが多い。生ジョッキ缶の場合、「楽しい」「ワクワクする」などの情緒的反応が非常に多かったという。
この結果を踏まえ、2020年10月の経営会議で商品化の意思決定をはかった。噴きこぼれを100%防止することはできない、冷やしすぎると泡立たないなど、リスクは残っていた。それでも、コロナ禍で社会的ストレスが高まる中、この商品はお客さまを楽しい気持ちにすることができると、商品の発売が決まった。
発売時期は半年後の2021年4月。発売3ヶ月前にはスーパーやコンビニといった販売店との商談がはじまる。商談に必要な見本缶を11月に製造し、販売店に新商品を体験してもらう。11月に製造した見本缶だが、「まったく泡がでなかった」と中島氏。各地の営業担当者から中島氏への問い合わせの電話が鳴り止まないほどだったという。研究開発部に依頼し、発売直前まで泡立ち性能の向上を行い、泡がより多く湧き出るかたちへ調整された。
また、新たなアプローチの製品だけに、顧客に説明すべき要素は多い。「よく冷やしてから飲む」「泡が吹き出る可能性がある」という商品特長を理解してもらう必要があった。しかし、缶の表面に注意書きを増やすと、取扱説明書のようになり、商品の魅力が損なわれかねない。そこで、生ジョッキ缶の飲み方・楽しみ方を動画にして、缶表面にQRコードを載せて読み込めるようにしたり、SNSで動画を発信したりした。
一番大事だったのは勇気を持ってリスクをとった意思決定ができたこと
こうして発売された生ジョッキ缶ですが、本当に多くの好評を頂き、手前味噌ながら社会現象ともなった。体験したお客さまが感想を自発的に発信されることも多く、心配していた噴きこぼれも、むしろ楽しんでいる様子がSNSなどに多く投稿され、クレームもほとんどないと言ってよい状況でした(中島氏)
生ジョッキ缶はあまりの人気ぶりに、発売2日で一時出荷停止となった。「社内や販売店から『もっと売りたいのになぜ在庫がないんだ』と、めちゃめちゃ怒られた」と当時を振り返る中島氏。そのような状況の中、お客さまから一言言わせて欲しいと、1通のメールが届いた。「めちゃくちゃ吹きこぼれるけど超楽しい! クレームどころか攻略したくなる!」とわざわざメールを送ってくれるほど喜んでもらえていることに、増産体制作りに奔走するチーム関係者を奮い立たせてくれたという。
生ジョッキ缶がここまで大きな反響を得た理由は何だったのだろうか。中島氏は、ビールという製品に「楽しさ」を持ち込んだことがポイントではないかと分析する。「泡が出る缶ビール」という強い機能価値に加え、人の情緒や感性を揺さぶる価値を持たせられたのが生ジョッキ缶、という訳だ。
中島氏は生ジョッキ缶誕生のポイントは振り返ると、以下の3つだったと語る。
- インサイトの発見
- 見過ごされていた技術の新結合によるイノベーション
- 動画を使った商品特長の説明
ただ、最大のポイントは「勇気」だったという。開発チームと経営が一緒になって、勇気を持って、リスクのある意思決定ができたことがポイントだったと中島氏。苦労してインサイトを見つけたら、それを実現するための勇気が必要だと中島氏は呼び掛け、講演を締めくくった。
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