キャリアの軸はPR&社会貢献! 広報のプロがめざすのは「誰もがWebで夢を実現できる社会」 | 森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

Web担当者/仕事
自己紹介
yu-ta(ゆーた)26歳、会社員 PC.スマホ周辺機器やスマート家電など ガジェットを使って スマートな生活を送っています。 このサイトでは管理人おすすめの 最新の便利ガジェット情報や お得に買えるセール情報を中心に 発信しております。
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「PRは社会課題の解決や、人や企業の信頼回復など、社会貢献度の高い仕事であると知り、仕事にしていきたいと思いました」

こう話すのは、Wixの広報を務める間島ゆかり氏だ。アメリカ留学でパブリックリレーションズを学び、PRを仕事にすることを志す。広報を軸に華やかなキャリアを積み重ねてきたように見えるが、意外にも、転職活動は苦戦したという。なぜなら、ある経歴が足かせになってしまったから。一体どんな経歴なのだろうか? 間島氏にこれまでのキャリアを伺った。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。

憧れていた海外留学でPR職を志すことに

Wix.com Japan株式会社 PR・コミュニケーションズディレクター
間島ゆかり氏

林: 大学時代に留学されているんですよね。

間島:はい。5歳の頃、母が買ってきた英会話教材がきっかけで英語に興味を持ちました。小学生からはニュース番組や海外ドラマを見て、将来はカリフォルニアに行きたいと憧れていましたね。中学・高校では、初めて家族旅行でアメリカへ行き、海外の俳優に英語でファンレターを書くほど洋画にハマり、大学は、青山学院大学の英米文学科に進みました。

林:幼少期から英語に親しんでこられたんですね。

間島:そうですね。大学1年の春休みには1か月のカナダ短期留学をしました。それが英会話はある程度できると思っていたのですが、全然しゃべれなくて……。先生に泣きながらクラスのレベルを下げてもらいました。海外へ行くことをずっと心配していた両親は、「これで諦めるだろう」と思ったようですが、私は負けず嫌いな性格で。さらに英語の勉強に励み、大学4年の夏には10か月の交換留学でアメリカに行きました。

林: 交換留学ではどんなことを学んだのですか?

間島:1つがパブリックリレーションズです。「日本の広報の概念は、アメリカより10年遅れている」と言われますが、私も広報=広告宣伝というイメージがありました。しかしPRは社会課題の解決や、人や企業の信頼回復など、社会貢献度の高い仕事であると知り、仕事にしていきたいと思いました。

林: 留学先の授業で、広報という仕事を知るに至ったわけですね。4年生の時に交換留学をしていますが、就活はどのタイミングでされたんですか?

間島:本格的に就活を始めたのは5年生の5月、帰国してからになります。PRのキャリアを積むには「企業の広報部に入る」か「PR会社に入る」か。ただ希望を出しても、事業会社の広報部に配属されるかどうかはわかりませんので、確実にPRの仕事ができるPR会社に就職することをめざしました。求人があれば片っぱしから応募しましたし、募集していない場合でも履歴書を送りましたね。最終的に外資系のPR会社に2006年4月、新卒で入社することになりました。

林真理子氏(聞き手)

念願のPR会社に就職できたが、リーマン・ショックで考えが変わる

森田: その外資系のPR会社では、どんな仕事をしましたか?

間島:外資系IT企業の社外広報コンサルティングや、広報がいない企業の代理広報窓口などをしていました。他にも、社長の露出を高めて企業イメージを変える取り組みやNGOの啓発活動など、さまざまなPRに携わりました。とにかく仕事が大変で、残業が深夜に及ぶことも多く、離職率の高い会社でした。基本的に上司と2人で仕事をしていたのですが、当時体系的な新人教育はなく、泳ぎながら泳ぎ方を覚える感じで仕事をしていましたね。

林: この会社にはどのくらいいたのですか。

間島:3年半です。2008年9月にリーマン・ショックがあり、クライアントの契約終了が相次ぎました。会社としては危機を乗り越えたものの、「明日、世界が終わるとしてもこの仕事をやっていたいか?」と自問するようになりました。そんなときバングラデシュで観光PRをする青年海外協力隊の募集があったので、会社を辞めて、国際協力の道へ進むことにしたんです。実は学生の頃から、世界の貧困問題や動物虐待、環境問題にも関心がありました。

森田: 観光局の人からしたら「ドンピシャの人が来た!」と思ったでしょうね。バングラデシュには、どのくらい滞在したのですか?

間島:協力隊として2年活動したあと、JICAバングラデシュ事務所の広報の仕事も半年したので、バングラデシュには2年半滞在しました。現地へ行くにあたり、日本で2か月間、訓練所でベンガル語を勉強しました。協力隊では、日本人向けにバングラデシュの情報を発信し、JICAの事務所では現地人と日本人向けにFacebookで情報発信したりしていました。

森田: 現地での生活はいかがでしたか?

間島:協力隊は、現地の中流家庭と同等レベルの生活をします。当時バングラデシュは、アジアの最貧国。なので、エアコンはないですし、停電が1日に何度も起こるような環境で暮らしていました。シャワーのお湯も出ないので、やかんでお水をわかしてバケツに溜め、それをお風呂として入っていました。もう今では暮らせないですね。ただこうやって2年半バングラデシュで生活するなかで、現地の人の自国愛の強さを知りました。「自分の国を良くしていきたい」と考えているんです。それに感化されて、私も地に足をつけて、日本のために働きたいと思うようになり、帰国しました。

林: 帰国後は、すぐに仕事に就かれたのですか?

間島:転職サイトに登録して活動しましたが、すぐに挫折。というのも、バングラデシュの経験が評価されないんです。キャリアコンサルタントに「異色のキャリアを受け入れる企業は少ないので、経歴に載せないようにしましょう」と言われたりもしました。

森田:直近2年半の経歴を書かないほうが不自然で、「この間何してたの?」となりますけどねえ。僕の感覚からすると、誰もやっていないような経験をしているのはプラス評価ですけれども。

林: グローバルな視点をもってコミュニケーションできる広報というのは、むしろ売りになると思いますけどね。

間島:落ち込んでいた当時の私に言ってあげたいです。転職には苦労しましたが、なんとか国内のIT企業に入社しました。この会社を選んだ理由は、エンジニアが使う製品を取り扱っているB2B企業で、広報だけでなく、マーケティングも担当するからです。マーケティング知識のある広報のほうが人材としてチャンスがあると思ったんです。3年勤め、B2Bマーケティングを学ぶこともできましたが、製品が難解過ぎて……。正直、私には魅力を十分に伝えられないと感じました。英語を使う機会も少ないですし、グローバルな環境に身を置きたいと思い、再び転職活動を開始。2015年9月、Evernoteに入りました。

Evernoteに転職! しかし、3年後に事業縮小で解雇に

森田: Evernoteでは、どんな仕事をしていましたか?

間島:PRとマーケティングの両方を担当していました。プレスリリースの発信やメディア対応、SNS運用、オウンドメディアの記事執筆、イベントの企画運営、キャンペーン企画などを、数名でまわしていました。Evernoteは、日本に800万ユーザーがいて、支社の立ち上げも早かったことから、本社からは裁量を与えられて、比較的自由に活動できました。

林: Evernoteにはどれくらいいたのですか?

間島:2018年11月までです。2018年夏に全世界的に事業を縮小する発表があり、日本法人は多くが解雇となりました。それまでは、スタートアップの勢いで思いついたことをなんでもやっていたのですが、事業戦略が上手くいかず、業績が悪化しました。

森田:スタートアップが成長したあとどう維持するのかという問題は、どの企業にも共通しますよね。

間島:そうですね、創業の才能がある人にビジネスを伸ばし続ける才能があるとは限らないと思います。再び転職活動をしたものの、なかなかご縁がなくて……。

林: ご縁がないというのは、求人媒体で応募しても反応が悪いということでしょうか?

間島:面接に呼ばれても、反応が良くなかったです。キャリアコンサルタントからは「転職回数が多いから」などと言われました。

森田: どの会社も3年は働いているので、転職回数が多いからといってマイナスなイメージではないですけどね。すぐ辞める人は3か月で辞めますから。

林: ポジティブに捉えれば、ここでなかなか決まらなかったのは、入社する前に自分と会社のカルチャーのすり合わせができていたということかもしれませんね。

間島: そうですね。そんなとき、Evernote日本法人の代表だった積田から「Wixの日本法人を立ち上げるので、広報をやってもらえないか?」と誘われました。そこで初めてWixを知ったのですが、調べてみたところ、Wixの本社はイスラエル。イスラエルの会社で働く経験はなかなかないですし、日本法人立ち上げに携われる機会もそう多くありません。これはおもしろいと思って、2019年2月に第1号社員として入社しました。

Wixでの仕事は、これまでのキャリアがすべて生きている

森田雄氏(聞き手)

森田: Wixが提供する「Editor X」のオンラインセミナーを私も受講したことがありますよ。非常に進化しているなと関心を持っています。間島さんからはWixの仕事や製品はどのように映りますか?

間島:会社のカルチャーとして、経営判断も開発も速いので、飽きることがありません。イスラエルのカルチャーは失敗を良しとしていて、失敗を恐れてやらないことが減点なので、私に合っていますね。ちなみに日本法人の広報は私のみで、本社の広報部やPR会社と協力しながらやっています。マーケティングは別の担当者がいるのですが、プロジェクトによっては協力して進めます。たとえばイベント登壇やタイアップ記事でどういうメッセージを発信するか、キャンペーンのPRをどうするかなどは、広報とマーケティングの両視点で考えています。

林: 長く広報を軸にしてキャリアを重ねていますが、続けている中で見えてくる変化はありますか?

間島:新卒で入社したときは、SNSはまだ力を持っていませんでした。今なら広報担当として企業の情報を伝えるなら、SNSは外せません。他にもオウンドメディアやインフルエンサーマーケティングなど複数の手法があるので、それぞれの特徴を理解して適切な場所や言葉を選ぶスキルが求められます。もちろん、メディアの記事は価値があるので、メディアリレーションも引き続き重要です。

林: 社会貢献もキャリアの軸になっていると思いますが、それはWixでは実感できていますか?

間島:はい。Wixは、誰もがWebの世界で夢を実現できるツールを提供することをめざしています。ポジションとしては、「Wix エディタ」が個人や企業、Web制作者向けのツールで、「Editor X」はすでにデザインスキルのあるフリーランスや制作会社の方向けのツールです。ツールの提供を通して、その先のユーザー、企業のストーリーを感じられます。「Wixがあったからコロナ禍を乗り越えられた」「Webデザイナーとして独立できた」などと言われるとうれしいですし、やりがいを感じます。誰かの夢の実現に役立っていることは、社会貢献でもあると思います。

森田: それでは最後に、今後のキャリアの展望を教えてください。

間島:Wixでは、これまでのキャリアが総合的に活かせているので、引き続きこのサービスに関わっていきたいです。とはいえ、もしかしたら、なにか新しいことにビビッと来るかもしれないので、そのときは自分に正直に生きたいですね。

本取材はオンラインにて実施

二人の帰り道

子どもの頃に芽生えた英語や海外への関心を、小中高から大学の専攻まで様々な局面で自分の選択の指針として大事に学び育んでこられたこと、挫折感を味わっても留学を選び、着実にものにして来られたことに、まず感服しました。留学先で知った広報という仕事も、それを仕事にしたいと新卒時から職をつかみ取って専門性を磨いてこられた歩みに、シンプルな行動指針をもってキャリア選択を重ねてこられた力強さを感じました。惰性に流されることなく、今だと思うときに一歩踏み出すのって現実問題けっこう難しいことだと思うのですが、バングラデシュの選択などは実に勇ましくもあり。今は、グローバルな社会貢献を果たす役割を実感しながら広報の専門性を発揮して仕事に邁進できているという間島さん。間島さんが信念をもって役割を果たそうとすることによって、間島さんのいる職場がグローバルな社会貢献ができるようになっていく、職場ありきではなく間島さんありきで、会社の事業がその役割を果たしていく、そんな芯の強さを覚える取材でした。

森田

子どもの時分からの英会話への興味に対して真摯に向き合ってきた結果…という感じでとても先見の明があるというか、非常に良いなぁという小並感です。ちなみに僕はコンピュータ(今でいうパソコン)を使う仕事がしたいなと思っていて叶ってはいるんですが、現代社会はそんなの当たり前みたいな感じになっちゃっているので、思わなくても叶っていたんだろうなというかで先見の明のなさを自覚するばかりです。しかし、こうキャリアの変遷を振り返ってみると、広報の専門家としてしっかり経験を積み上げている間島さんというふうにしか見えないのですが、転職に苦労するタイミングのキャリアコンサルタントにどうも恵まれていなかった模様です。まあ、間島さんが今後転職するとしたら、リファラルとかで引く手あまたでしょうし、ビビッときたら是非とも正直に生きてほしいですね! 僕もビビッとくるようなやりがいを模索しながら生きていきます!

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