業界のトップランナーからオススメの書籍を聞く本連載。今回のテーマは、デジタルマーケティング業界の新人にぜひ読んでほしい「人を動かすための本」だ。アユダンテでチーフデジタル広告コンサルタントとして活躍し、13名のメンバーを率いている寳 洋平さんに、新人が入ったらぜひ薦めたい本を取り上げてもらった。
寳さんのチームには、デジタル広告の経験者もいれば、未経験者もいる。経験者には、これまでのノウハウを活かして運用を任せる一方、経験の浅いメンバーには、教育やサポートを丁寧に行うようにしているそう。
「伝える力を養う」ための「空・雨・傘」の考え方
寳さんご自身はもともと小説家を目指しており、ライターや編集者などを経てデジタル広告の世界に入ったという。しかし、そこである課題にぶつかった。
文章を書くことは長けていましたが、人に理解してもらう、共感を得るためのビジネスコミュニケーションがうまくいかなくて悩みました(寳さん)
そんな時に出会った書籍が、1冊目・2冊目として紹介する次の『問題解決の全体観』上・下巻だ。
1冊目・2冊目 『問題解決の全体観 上巻 ハード思考編』『問題解決の全体観 下巻 ソフト思考編』(中川 邦夫:著 コンテンツ・ファクトリー:刊)
この本では問題が起きたときの解決方法の「型」が紹介されています。「空・雨・傘」というのは、有名な型の1つですが、私はこの型を意識してコミュニケーションするようになってから、話が伝わりやすくなりました(寳さん)
「空・雨・傘」とは、出かける時に空を見て、雨が降りそうだから、傘をもっていくことを例に、状況を観察して、それを解釈して、行動を起こす流れを指す。
この考えは、組織の仕事、個人の仕事、プライベートまで適用できます。さらに、緊急性が高いもの、将来のリスクを回避するもの、現状を改善するものなど、さまざまな場面でも適用できるので、非常に汎用性が高いのが特徴です(寳さん)
書籍では、空・雨・傘の3つがそろわないと、なぜコミュニケーションがうまくいかないのかをわかりやすく解説している。例えば、十分な解釈無しで状況を見て行動を起こしてしまうと当たり外れが大きく出てしまうし、文脈を無視してアイデアだけを出しても人を動かせない。
空・雨・傘を頭で唱えるくらいに意識して、状況を見て、解釈して、それを根拠に対策を伝えることを習慣にしました。コミュニケーションがうまくいくと、広告を活用してお客様のビジネスに貢献できるようになり、広告の仕事がおもしろくなっていきました(寳さん)
本書は上・下巻に分かれており、空・雨・傘だけでなくさまざまな考え方が紹介されている。上巻では手法、下巻では具体例や戦術的なことがまとまっている。
「俯瞰の目」をもち、「実際の顧客を知る」方法を学ぶ
最近は、情報を効率的に摂取することを優先する人が多く、ハウツーものなど具体的な情報へのニーズが高い。しかし、寳さんは「具体的なことだけでは応用が効かない」と一歩引いて見ている。
現在では、さまざまな数値や検索語句など、分析用の詳細なデータを取得でき、微細なところまでデータで追えるようになりました。一方で、細部に目が行き過ぎて視野狭窄(しやきょうさく)になりやすく、レポートにまとめても要領を得ないということがあります。
そんな時は、カメラのレンズを切り替えるように、施策の目的は何か、プロジェクトの理想と現実のギャップはどうか、と全体を俯瞰して見ることが必要になります(寳さん)
詳細なデータを具体とすると、視座を変えて全体を俯瞰することは抽象化することになる。そういう時に参考になるのが次の書籍だ。
3冊目 『具体と抽象』(細谷 功:著 dZERO(インプレス):刊)
例えばデジタル広告の場合、目的、媒体、ターゲティング、広告クリエイティブ、検索語句など、さまざまな切り口から詳細なデータを得られる。だからこそ、「データを見るミクロな視点とプロジェクト全体を見るマクロな視点を行き来するようにしている」と寳さん。
抽象が常に正しいというわけではありませんが、具体はそのケースだけにしか当てはまらないことも多く、壁にぶつかることがあります。目の前の具体的なことに集中した視点だけではなく、高い視座からの視点を併せもって向き合うことが重要です(寳さん)
「具体を抽象化する」ことで、汎用性を高めていくわけだ。空・雨・傘も、具体を抽象化することでさまざまなことに当てはめている例だと言える。
そして、データの理解だけでなく、顧客そのものを理解するためには、あえて顧客側の空間に入りこんで、顧客のカルチャーや考え方を体感することも必要だ。その時に役立つのが、社会学の入門書である次の本だ。
4冊目 『フィールドワーク―書を持って街へ出よう』(佐藤 郁哉:著 新曜社:刊)
寳さんは、デジタル広告コンサルタントとして、クライアント企業の広告運用支援を行っている。その際には、クライアント企業のその先にいる購入者を知り、コミュニケーションをとって意思決定の後押しができるような仕組みや環境を整えることを心がけているという。
実際に購入者がいる現場に足を運んで観察し、時にはインタビューをして彼らが語る言葉を傾聴することが必要になります。これはフィールドワークに似ていますよね。
デジタルマーケティングの支援として、ノウハウやフォーマットを伝えるだけでなく、購入者であるお客様のことを知る手助けをすることが、本当の意味での支援です。クライアントのビジネスをドライブさせるには、そこまでやる必要があると私は思います。まずは現場に出て観察する、話を聞く、ということが出発点です(寳さん)
「ストーリーテリング」や「人間の欲望」を古典から学ぶ
デジタルマーケティングの施策の1つとして、動画を用いる場合も多いだろう。寳さんも、最近では動画広告のシナリオを作成する機会が増えたという。そして、ストーリー構成を考えるのにあたって参考にしているのが古典中の古典、2,300年前に書かれた創作論である『詩学・詩論』なのだそう。
5冊目 『アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論(岩波文庫)』(アリストテレース、F.Q. ホラーティウス:著 松本 仁助、岡 道男:訳 岩波書店:刊)
悲劇のシナリオ理論として、始まりがあり、中間で葛藤があってクライマックスが生じて、収束して終わるという三幕構成について書かれています。特に中間では「逆転と認知」が必要とされていて、登場人物がAと思っていたのが実はBだった、というように知らなかった真実を発見するような流れが入ります。
しかも、「物語の筋として、逆転と認知は必然性をもっていないといけない」ともすでに書かれています。逆転と認知は、CMのシナリオなどでもよく使われていますが、必然性がないストーリーはリアリティがないですし、消費者を騙すような流れになるおそれすらあります(寳さん)
他にも、登場人物は一貫性のあるキャラクターをもっていないといけない、物語の最後にはカタルシスが必要だということも書かれており、今でも色褪せない普遍的な内容が学べるという。
動画のシナリオ、カスタマージャーニーのストーリー、LP(ランディングページ)の流れなどを考える時にも応用できますし、データ分析の結果を伝える際にも有効です。
この本のなかにも書かれていますが、人の心を動かすものは、視覚的要素よりも、物語の筋が大きいと考えています。海外のマーケティングを調べていると、ストーリーテリングというワードがよく出てきます。嘘や無理・無駄がない、良いストーリーテリングであれば、意思決定者に内容が効果的に伝わります(寳さん)
そして6冊目に紹介されたのが、19世紀のパリを舞台にしたバルザックの小説『ペール・ゴリオ パリ物語』。『ゴリオ爺さん』の翻訳タイトルで知っている人も多いかもしれない。
6冊目 『ペール・ゴリオ パリ物語』(バルザック:著 鹿島 茂:訳 藤原書店:刊)
この物語の主な登場人物は、地方から出てきた若い青年、60代のゴリオ爺さん、貴族階級に憧れるゴリオ爺さんの娘たち、そして謎の中年男性です。青年とゴリオ爺さんの娘は、地位や名声、お金などの欲望に従って生き、謎の中年男性は青年を悪の道に誘おうとし、ゴリオ爺さんは娘たちに愛情とお金を貢ぎ、自分は倹約生活を送ったあげくの果てに全財産を失います。実に人間の欲望がありありと描かれている作品です。
マーケティングは人の欲望と向き合うもので、それはビジネス書や学術書だけでなく小説からも学べます。小説で理屈では割り切れない感情や行動に触れることで、目の前にはいないユーザーの気持ちへの想像力を鍛えられると思います(寳さん)
「感情に訴える」表現を磨く
7冊目は、戦後の女性詩人の詩集だ。
7冊目 『茨木のり子詩集(岩波文庫)』(谷川 俊太郎:選 岩波書店:刊)
マーケターとして忙しく過ごすうちに、時間だけが過ぎて流されてしまうように感じることが誰にでもあるのではないだろうか。なんとなく、日々の業務をこなすことに虚しくなってしまうようになったら、読んでほしいのが本書だ。
例えば「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ。」と、ストレートに叱ってくれる詩があります。自分自身がもやもやしている時、立ち止まっている時に読むと、誰かのせいにするのではなく、また立ち上がって前に進まないと、という気持ちになります。多くの人の心に届いて支えになってくれるような詩です。
マーケティングで感情を動かしたり、熱を感じてもらったりするのに言葉はやはり重要で、日本の詩や短歌から学べることは多いです。最近、若い広告運用者とこの詩人の話になり、うれしくなったので選びました。感受性を自分で守れという言葉、身にしみますね(寳さん)
最後に、料理も上手な寳さんが紹介してくれたのは、スープのレシピ本だ。
8冊目 『あなたのために ― いのちを支えるスープ』(辰巳 芳子:著 文化出版局:刊)
デジタル広告では「効率的な」情報収集が求められる。寳さんは、だからこそ思いが詰まった、手触り感のある文章に注目してほしいという。
この本は、お父様が病気で嚥下(えんか)困難になられ、スープを作っていた8年の経験をもとにしている、という背景が冒頭に載っています。レシピといえば、さまざまな情報がインターネット上で得られますよね。でもこの本の文章を読んでみれば、それらとははっきり違うことがわかるはずです。情報というよりも、情緒や感情と論理が一緒になっています(寳さん)
情緒や感情は、生成AIが台頭する現在だからこそ重要性が高いと寳さんは考えている。デジタル広告のコピー、ECサイトの商品ページの説明文なども、AIが書いてくれる機能が備わってきつつあるのが現状だ。しかし、情緒や感情と論理が不可分になっているような文章は、生成AIには書けないと寳さんは考える。
自社製品を開発した思いや情熱は、人間のほうでゼロ→イチを表現しないかぎり、生成AIではすくい取れないと思います。広告やLPを自動で作成できたとしても、他ではなくこの製品やサービスを選ぼうと人の心を動かす表現をするには、そこに込められた感情や情熱が必要なのです。ユーザーから他とは違うのだと感じて選んでもらえる表現を磨くためにも、辰巳さんのスープの本のようなテキストを知っておくことは大切だと思います(寳さん)
バラエティ豊かな書籍を紹介してくれた寳さん。具体を抽象化して考えること、感情や熱を大切にして伝えるという2つの軸が感じられる選書であった。効率化よりもむしろ、丁寧に顧客を理解し、心を動かすマーケティング施策を考える寳さんの普段の仕事ぶりもうかがえる選書だ。これからマーケターとして活躍される皆さんにぜひ読んでほしい。
寳 洋平(たから ようへい)
アユダンテ株式会社
チーフデジタル広告コンサルタント
編集・ライターから広告の世界へ。運用型広告やBIツールを活用し、顧客と対話しながらビジネス成長を支援する。講演や業界誌、ネットメディアなどでの執筆も多数。アナリティクスアソシエーション(A2i)のセミナー編集委員。料理好き。3匹の猫と暮らしている。
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